篠田桃紅さんの展示を見に岐阜現代美術館へ
少し前の話ですが、篠田桃紅さんの展示を見に、岐阜現代美術館を訪れました。
数年前にも岐阜現代美術館(2007年に開館、鍋屋バイテック株式会社敷地内に併設)の「大地館」訪れた事がありましたが、今回は新しく岐阜現代美術館に建設された、「桃紅館(とうこうかん)」を訪れました。
展示を見終えたあとに、美術館や作家さんの作品を見た後に残る気持ちの良い「感じ」が今回もありました。
デザインが思い浮かばない時や、詰まった時など、展示を見に行きます。
篠田桃紅さんを知ったきっかけについて
私が篠田桃紅さんを知ったきっかけは、数年前に放送されたNHKの番組でした。100歳を超えてもなお、新しいものを生み出そうとする姿に感銘を受けたことを思い出します。番組を見終えた後、篠田桃紅さんの本『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』を手に取りました。その後、作品を実際に見てみたいと思い調べてみると、岐阜県関市の岐阜現代美術館に彼女の作品が展示されていることを知り、それをきっかけに展示がある度に訪れるようになりました。
篠田桃紅について
篠田桃紅(しのだ とうこう、1913年3月28日生まれ)は、日本を代表する美術家であり、版画家、エッセイストとしても知られています。彼女は従来の書道の枠を超え、墨を用いた抽象芸術を確立し、国際的に高い評価を得ました。
生い立ちと教育
篠田桃紅は、旧満州の大連で生まれました。父親の転勤に伴い、2歳で東京に移り住み、5歳頃から父親から書の手ほどきを受けました。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学びました。
キャリアの展開
1956年、43歳の時に単身でアメリカに渡り、ニューヨークを拠点に活動を開始しました。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は「墨象」と呼ばれました。(墨象のパイオニア)アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得ましたが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、1958年に帰国しました。帰国後は、日本国内外で作品を発表し続け、国立代々木競技場や増上寺大本堂などの壁画や襖絵も手掛けました。
晩年の活動と評価
100歳を超えても精力的に創作活動を続け、2015年にはエッセイ集『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーとなりました。2021年3月1日、107歳で老衰のため東京都青梅市の病院で亡くなりました。
主な作品と収蔵先
篠田桃紅の作品は、メトロポリタン美術館や国内外の主要な美術館に収蔵されています。また、岐阜県関市には彼女の名を冠した「関市立篠田桃紅美術空間」(令和6年3月31日閉館 現在は岐阜現代美術館へ)が設立され、彼女の作品が展示されています。
著書
篠田桃紅はエッセイストとしても活躍し、多くの著書を残しています。主な著書には『墨いろ』『朱泥抄』『一〇三歳になってわかったこと』などがあります。
篠田桃紅は、墨を用いた独自の抽象表現で日本の美術界に大きな足跡を残し、その作品と思想は今も多くの人々に影響を与え続けています。